東大阪の地場産業


現状と今後の課題

東大阪の地場産業として発展してきた業種をいくつか見てきたが、それらに共通していえる課題がいくつかある。
第1にそれぞれの産業が古い歴史の中で培われてきており、飛躍的な発展期を迎えたのがいずれも戦後の高度成長期であった、ということである。

時代ごとの環境下において企業集積を進め規模の拡大を図り、大よそ昭和50年を前後して成熟期を迎えたといえる。
それ以降の経済における構造不況の下、新規参入の減少、事業の縮小、廃業や倒産が増えて、企業の集積度合が次第に低下する傾向を見せていった。
そういった状況下においても、経営力を有する企業は合理化への努力によって円高などの厳しい情勢を克服したり、または新規の事業分野への進出を図るなどしてきた。このような新しい分野の開拓、事業転換も、在来の企業集積を特徴とする地場産業が逆に分散化していく要因のひとつとなっている。
第2に地場産業共通の問題といえば、地域の市街化に伴う産業立地上の問題がある。地場産業は東大阪市域のなかでも、特定の地区・地域を背景に発展してきた。鋳物の布施、金網の上小阪・小若江、作業工具の四条・六万寺などがその例として挙げられる。ところが戦後の高度経済成長下において、東大阪市の人口、産業は急増し、古来からの地場産業の集積地にも住宅化(市街地化)の波が押し寄せてきた。

そこでは、振動・騒音等の公害問題が取りざたされ、さらには土地の利用についても様々な規制がかけられるようになってきた。
一般的に地場産業が立地する理由としては、地域の自然・資源・歴史などと密接な関係がある場合が多いが、東大阪市の場合は、古来より生駒山水からの水力で発展を遂げてきた伸線工業の例はあるものの、それ以外の業種においてはその関わり方は浅いといえよう。
実際、伸線工業においても今日ではその動力源が電力に代わられたこともあって、地区・地域にこだわる理由がなくなってきた。

そこでは地域の資源や自然による立地型というよりも、むしろ技術の集積によって発展してきたといった傾向の方が強い。その結果、地場への集積よりも工場の分散化を促すようになってきた。
企業にも寿命があるのと同様、産業にもライフサイクルがある。何百年もの永きに渡る伝統産業を地場産業と呼ぶならば、近代工業で形成され地場産業も存在し、東大阪のそれは、まさしく後者の近代工業に属する地場産業といえよう。
そこでは時代の変化とともに“技術を創造的に破壊する”という革新こそが、産業としての維持・発展を可能にする。

東大阪の地場産業においては、それぞれに発展期から成長期にかけて、技術革新と需要の開拓に対する企業努力があったし、その企業努力こそが今日まで地場産業の寿命を延命化してきたものといえる。地場産業の原点“=同業者による中小企業群”というならば、あくまでも構成している個別の中小企業が、厳しい経済環境下の今日においては、地場産業という枠を超えて異業種との交流を図るなどの試みをしながら、新しい事業分野を開拓していく努力が求められる。またそういった試みこそが、次世代の地場産業を創生することにも繋がっていくと考える。

[参考文献]湖中齊著『東大阪の中小企業』


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